いつも繰り返される、「政治とカネ」の問題。地球温暖化、戦争、自然災害。これだけ世界が悪い方へ向かうなか、
日本の政治だけは、平成時代から変わらず「政治とカネ」の問題を繰り返している。
これはもはや日本政界の伝統ということで、つまりは平常運転ということ。そういう意味では日本は平和ということでしょうかね。
誰も引退を表明しない
普通の企業であれば、裏金が発覚した時点で代表者が逮捕されてしまいます。
しかし、政界においてはその普通が機能していません。なぜか?これは、政界と企業とで取り締まる法律が異なるからだと思います。
たとえば、Aという事件はAという法律で裁き、Bという事件はBという法律で裁くという感じです。(かなり乱暴に簡略化してあります)
そして、ここに政界を引退できない理由があるのだと私は思っています。
政界の外では生きていけない
政治の世界というのは、想像するに我々一般人とは異なる「常識・ルール・法律」で動いている特殊な世界のように感じます。
いわゆる芸能界のような特殊な環境。
そして、彼らは古くからその中にどっぷり浸かって生きてきた人たちです。だから、いまさら政界の外で生きていくことはかなり難しいのではないでしょうか。
収入が減るから引退しないというわけではなく、精神的に政界に依存しているから引退できない。
と言えるかと思います。
行動経済学でいうコンコルド効果に似ている
この精神的な状態は、行動経済学でいうコンコルド効果に似ています。
コンコルド効果とは、事業でこれ以上投資しても失敗に終わると分かっていながら、これまで費やした、お金・時間・労力のことを
考えると事業と途中でやめられないという心理的状態のことを言います。
引退を表明しない政治家も同じで、これまでにお金・時間・労力を費やしてきた大切な自分のキャリアをみすみす捨てられない状態ということです。
政治家でいることが目的化
そうなると政治家でいることが、自分の人生でとても大きな意味になってきます。
そもそも、政治とはその他の職業同様しょせん手段です。
何か成し遂げたいことがあるから政治家になる。というのが本来の健全なあり方だと私は思います。
それを証拠に、選挙では各候補者必ず成し遂げたい、公約を掲げています。
誰も、私は政治家になりたいから、私に投票してくださいなんて言いません。
しかし、政治生活を長く続けていると、政治家でいることがいつしか目的化するのではないかと思います。
手段が目的化している状態です。
ただそれは仕方のないことで、人は環境に影響されながら生きている生き物です。
長くその環境にいることで、いつしか、その環境がアイデンティティの一部となりそこから抜け出せない状態になります。
その環境から抜け出すには、相当の勇気がいることでしょう。
政治家でいることが最大の宣伝
手段の目的化に関連して、もう一つあるのが選挙戦略の観点からです。
選挙で受かるためには公約だけでは不十分で顔が売れていることも重要です。
政治は人気商売だと言われることがありますが、それもあながち間違いではないと思います。
いわゆる知名度というやつです。
選挙戦略でもこの知名度が勝利の重要な要素になってきます。選挙カーで名前を連呼するのもこの線略からきています。
そして、政治家にとって一番、知名度が上がるのが政治家でいることです。
政治家でいることによって、メディアにも定期的に取り上げられ、全国に自分の顔と名前宣伝できる機会が増えます。
しかし、もし途中で引退してしまえば、メディアで定期的に取り上げられる機会を失い、あの人はいま状態になってしまいます。
そうなると、選挙で勝つことが非常に不利になってしまう上に、不祥事で引退した政治家という最悪のレッテルを貼られるというオマケ付きです。
次の選挙戦を見据えている政治家ほど引退を口にすることはできません。
おわりに
ここまで、お読みいただいた人にはお分かりかと思いますが、政治家に自ら引退させることは非常にハードルが高いのです。
だからこそ、任期というものがあり、選挙というシステムがあるのだと私は思います。
政治家は未来の希望を語り、それに共感した有権者が投票します。
しかしその結果は、絶望した今が目の前にあります。
次の衆院選での投票率が上がることを願いつつこの記事の締めとしたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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